乳幼児教育、漢字絵本のインターアクトコーポレーション
乳幼児能力開発研究会は
株式会社インターアクトコーポレーションが運営する幼児教育、乳幼児の能力開発の為の研究機関です。
今回は絵本事業部より「漢字教育」を中心とした、ご家庭や教育の現場での言葉の教育を行う為の商品をご紹介いたします。
親子で一緒に見たり読むための絵本やお話は、毎日繰り返し見せたり読み聞かせることで、言語教育の効果が高まるといわれています。
いついつまでも思い出して心温まる思い出を胸に持つ親子は生涯きっと幸福だろうと思います。
私たちはお子様の豊かな成長のお手伝いを致します。
見せるだけでも良いですが、人間の言葉は、心と心とを結び着けるものです。
だから、赤ちゃんに言葉を掛け
る時は、赤ちゃんの目を見つめ、愛情を込めて語り掛けることが大切です。
赤ちゃんも、語り掛ける人の目と口を見てこれを受け取ります。
また、同じ言葉を繰り返し語り掛けることが大切です。反復によって、言葉と口
の形との間に関係のあることを理解し、その口の形をまねて、その言葉 を発す
るようになるからです。
この行為ほど赤ちゃんの智能を発達させる行為は他にありません。
一緒に寄り添い親の姿を見せることが大切なのです。
それはすばらしいことです。
反復によって、言葉と口
の形との間に関係のあることを理解し、その口の形をまねて、その言葉 を発するようになるからです。
もっと同じ言葉を繰り返し語り掛けることが大切です。
この行為ほど赤ちゃんの智能を発達させる行為は他にありません。
初めから立派な親はいません。まずは立派な振りをして見ましょう。
幼児は本性が、「まねる」ことと「繰り返す」こと、つまり「学習」することが
大好きなのですから、教育とは、親が自分の言行によく注意して、出来 る限り
立派な手本を示すことに尽きます。
だから、たとえ振りだけでも、親は子供の目や耳の届く所では理想の親であ
るようにふるまうべきなのです。
親が美しく優しい言 葉を語
り、立派な行動をすれば子供はそれを繰り返しまねるので、自然と立派な子供になります。
もしも子供が、汚い言葉を語り、醜い行為をするならば、それは親がそういう言動をして、子供がそれをまねた結果にです。
「学習」とは、まず「まねる」ことであり、次にこれを飽きずに「繰り返す」
ことであって、それが幼児の本性であり、そうせずにはいられないものです。
だから、親は子供に良い手本を示してやるだけで、「やりなさい」と言わなくて
も、幼児は進んでこれをまねし、全く飽きずに喜んでそれを繰り返します。
何事に限らず、短期間の内にすっかり身に付けてしまいます。
ところが、親は、それをだまって眺めていることが出来ないもので、口を出したくなります。
つい注意してしまい、「楽しいはずの学習」が逆に
早く」免れたい「勉強」に変わってしまい、 全く正反対の悪い結果に終わってしまうのです。
「進んで負えば、重荷も重からず」という諺がありますが自分から進んで持って
やろうという親切心で持った荷物は、たとえどんなに重い荷物でも、まったく気になりません。
ところが、人から持つようにと言われて持たされた荷物は、軽い荷物でも重く感じられます。
「学習」を
強制して、「勉強」にしてしまってはいけないのです。
家庭教育においても、
「親が教育熱心で、子供のためにいろいろな事をしてい
るのにその子が悪い子になり、その反対に、教育に全く関心のない親の子 が立派
な子供に育った」
という例が、この世の中には決して少なくありません。
このような事実を聞くと、
「親がわが子を教育しようなどと思わず、放っ
たらかしておいた方が良い。」と思いたくなります。
しかし、それは少し違います。熱心なように見える人でも、その多くは思い付きだったりや行き当たりばったりなどで一貫性がなく、長期の教育という視点に欠けていることが多いのです。
熱心なようでも教育効果が現れないわけです。
子供の内に秘めている自然な成長力を無視して、「苗を引っ張る」ような行為をし、成長の速度を求めるのはよくありません。
教育に無関心な親の子が立派になったのは、無関心だったから、「苗を
引っ張る」ことをしなかったということです。
子供のもつ本来の自然な成長力が十分に発揮され、環境がたまたま教育的に整えられていたので立派に育ったのでしょう。
手入れを全くしなくても、立派な作物になるのと同じことです。
良い手入れをするなら、
もっと立派な作物になるはずです。わが子にとって、無関心や放ったらかしが
一番良いことであるはずはありません。
たとえ良かったとしても、それは親として寂しいことです。
「かわいい子には旅をさせよ」という諺は、親がわが子の苦しみ、悩む様を黙っ
て見ていることが出来ないものだから、それで作られた諺だと思います。
子供が旅先で遇う苦しみや悩みは親には見えません。その見えないところが良いのです。
幼稚園教育の家庭教育にない良さの一つはそこにあります。親の目の届か
ない所で、自分の思い通りにいかない生活を余儀なくされるところが旅とよく似ています。
それが子供のために良いのです。いろいろ聞き出して、子供に手を貸そうとする親がありますが、
子供を幼稚園に通わす意味が半減してしまいます。子供自身に適度な試練をあたえ、それを 克服させることが大切です。
「子供は模倣の本能がある」と言われています。
事実、子供は身近な人の言動を常
に手本に、それをまねせずにはいられないのです。
だから、親が、毎日「せっかち」の手本を見せていますと、子供も必ず「せっかち」
になります。
つまり、子供の欠点は親が作ったようなものです。
しかしほとんどの親はこのことに気が付きません。
子供の欠点をとがめ、これを改めるよう
に子供に求めます。
しかし親自身が欠点を改めない限り直りません。
だから、親は
自分の言動について、常に反省をして、わが子にまねられたくないような自分の欠点は子供の前では絶対に見せないように努力する心構えが、必要なのです。